池袋暴走事故に関する被告の1審判決が下されました。
改めて思ったことを少し書いてみたので、お暇があれば読んでほしいです。
人の命は思っているよりも軽い。
池袋暴走事故に関する被告の1審判決が言い渡されました。
禁固5年だそうです。
人の命は思っているよりも軽い
改めてそう感じました。
私の父は約10年前、車に轢かれました。
当時飼っていた愛犬リッキーと散歩、横断歩道を渡っている最中でした。
その時、命は助かりましたが内臓のほとんどが損傷し、脳に障害を負い後遺症も残りました。
その後、片足も壊死し、切断しました。
- この事故の被害で父は
- 数秒前の記憶が保てない
- 考えることができない
- 会話がほとんどできない
- 人口膀胱になり、一人で用を足すこともできない
介護なしでは生きていくことができない状態になりました。
そして10年間、今現在も苦しみ続けています。
もしかしたら自分が苦しんでいるのもわからないかもしれません。
そしてそんな状態の父を見て私たち家族もどんどんおかしくなっていきました。
一人の半生を奪い、一つの家族の幸せを奪い、
それでも加害者の禁固は2年でした。
加害者に故意はなく、法の下に判決が下されたので仕方ないのかもしれません。
それでも私は到底納得がいきませんでした。
あるとき、加害者が出所し、家族を作って幸せそうにしていることを知り、気が狂いそうになりました。
私は人に対して、初めて持ってはいけない感情を抱いてしましました。
加害者は法律上、罪を償ったのでなにをしても自由です。
しかし、それでも私はこの不公平な世の中を恨まずにはいられませんでした。
人を恨み、世の中を恨み、それでもその悲しみや怒りの矛先をどこにぶつけていいのかもわからず、常にまがまがしい感情が心の中を駆け巡っていました。
それでも生きていかなければならない
事故から約10年経ちますが、今でも元気だったころの父を夢に見ます。
夢から覚め、いつも虚無感に襲われます。
父は身体と脳に、家族は心にこれから一生消えることのない傷を負いました。
恐らく、この池袋暴走事故も5年、10年もすれば風化して人々の記憶から消え去っていくでしょう。
しかし、被害者遺族の方の苦しみはこれからずっと続いてしまうと思います。
手術が終わるまで同か無事に終わるように祈っていたあの待合室
手術が終わった後のパンパンになった父の顔
一番父になついてたリッキーが事故後の父を他人と判断し、警戒した唸り声
今でも脳裏にこびりついています。
車で人を轢いてしまうということはその人の人生を奪うだけでなくその家族、周りの幸せ、これからの人生を狂わすということを忘れないでほしいです。
そしてその奪われた何気ない日常は、二度と戻ってくることはないということを忘れないでほしいです。
それでも被害者家族はその悲しみを、悔しさを、どうしようもない怒りを、背負って生きていくしかないのです。
今や車は生活必需品です。ほとんどの人が持っているものです。
そういった悲劇を容易に起こすことができるものを自分は持っているんだということを再認識していただけると嬉しいです。
これから軽率な運転が少しでも減ることを願っています。