こんにちは、「StudioKDM」管理人のしょへです。ここでは僕の簡単な自己紹介とこのサイトについて書いていきたいと思います。
自己紹介
皆さん初めまして、しょへです。
1991年、神奈川県横浜生まれ、ベイスターズ育ちの生粋の浜っ子です。浜そうなやつら大体友だちです。
「僕等がいた」より「君に届け」派の清純派です。
座右の銘はスヌーピーの名言
「You play with the cards you’re dealt …whatever that means. 」
(訳:配られたカードで勝負するしかないのさ…..それがどういう意味であれ。)
これまでの経歴はあまり自慢できるものではなく、
- 1浪
- 大学休学
- 留年(2留)
- 中退
- フリーター
- 早期退職
- ニート
- 借金100万以上(完済済)
とやりたいことリストならぬ「人生でやっちゃいけないことリスト」フルコンプリートし、人生のレールを踏み外すどころか、解体してしまったリアルカイジな男です。
趣味
旅行
旅行が好きなのかどうかわかりませんが、海外では
- タイ
- ラオス
- ベトナム
- カンボジア
- ミャンマー
- ネパール
- インド
- ケニア
- タンザニア
- ザンジバル
- エチオピア
- ザンビア
に一人旅に行ったことがあります。ちなみにヒマラヤ山脈も登ったことがあります。
あとは国内もちょこちょこと旅行しています。
では、アウトドアかというとそうでもなく、そういうこと以外は基本的に室内に籠っていたいタイプで、漫画喫茶に最長72時間以上滞在したことがあるというかなり両極端な性格を持っています。
筋トレ
あとは、筋トレも好きで週5くらいでジムに通ってベンチプレスも100kg程度は上げられるようになっていましたが、今の仕事を始めるにあたって集中するために一旦、中断しています。
基本的にパソコンを使った仕事ということもあり、この1年はほとんど動かずにいたため、かなりぷよぷよな体になってしまいました。
最近は仕事も落ち着いてきたので、かつての肉体を取り戻すために筋トレを再開しようかと考えています。
サイト名について
このサイトの名前は「Studio KDM」と言いますが、この由来はケツメイシからきています。
楽曲の中に「スタジオKTM」という曲があり、そこから自分の名前をもじっています。
実は僕、12歳からケツメイシが大好きです(特にRYOさん)。
ケツメイシはいつもふざけているし、くだらないことばっかり言っているんですが、有名な曲で言いますと「涙」とか「手紙~未来」とか「出会いのかけら」とか魂を震わせるような名曲揃いです。
あの自由な雰囲気がすごく好きで自分もあんな風になりたいなぁと憧れがあります。そしてその中に
- かっこよさ
- 強さ
- 本当の自由
というものを感じます(ケツメ好きならわかるはず)。
そんなケツメイシのような和やかでゆるい雰囲気でも、仕事や生き方に対して、時おり真面目さや情熱が見えるような場所になればいいかなと思い「Studio KDM」と名付けました。
「ゆるく、ぬるく。ときどき熱く。」
をモットーに発信し続けていきたいと思っています。
仕事について
主にWebメディアを運営し、その広告費で生計を立てています。
企業に所属しているわけではなく、個人でやっています。
仕組みとしては
悩みを抱えているユーザーがネット検索
↓
自分が運営しているWEBサイトにユーザーが訪問
↓
悩みを解決するようなサービス・商品や対処策を提示
↓
ユーザーが成約してくれれば、報酬をいただける
かなりアバウトですが、だいたいこんな感じです。
ちなみにこのサイトでは収益化を意識しておらず、他で運営しているサイトで収益を上げています。
自分の仕事について詳しく知りたい方は下記の記事をご覧ください。
これまでの自分の半生
自分の半生はちょっと人とは悪い意味で違うというか波乱万丈というか的な感じなので、これまでの半生を少し語っていきたいと思います。
浪人の末、希望の大学に合格。人生の絶頂を迎える
僕は浪人しているのですが、そのときに希望の大学に合格することができました。
当時は東日本大震災が起こったときだったため、入学式は遅れましたが無事に入学することができ、かなり充実した毎日を送っていました。
大学のサークルにも入り、良き友人、先輩に囲まれ、そして人生で初めての彼女もできて「これが人生の絶頂か!」と感じていました。
当時の僕には輝かしい未来しか見えていなかったと思います。
2011年9月17日:人生が大きく変わった日
2011年9月17日
この日のことをこの10年間、一日たりとも忘れたことがないです。
そしてこれからも忘れることはないと思います。
この日は父親が車に轢かれた日でした。当時飼っていた愛犬リッキーの散歩をしていた時です。
その時の自分はなにをしていたかというと、初めてできた彼女と初デートの日で前泊として当時の彼女の家に宿泊をしていました。
朝6時頃だったと思います。突然母親から1通のメールが来ました。
「お父さんが轢かれました」
びっくりしましたが、どうせ軽いケガだろうとそこまで重く考えていなかったのですが、しばらくしてまた1通。
「お父さんがICUに運ばれました」
ICUなんてドラマでしたか聞いたことがない言葉だったので、これはただごとじゃないと思い、運ばれた病院に急いで向かうことにしました。
当時の彼女はその病院までついてきてくれたのですが、その病院に渡る横断歩道の手前「また連絡してね」と心配そうに声をかけてくれました。
あの時のシーンを未だに鮮明に覚えおり、そしてその横断歩道を渡っている最中、僕の人生は大きく変わったのだと今では感じています。
なかば、家庭崩壊状態に陥る
父親はICUに運ばれ、そこで10時間以上の手術を行った結果、一命を取り留めることができました。
しかし、無事というには程遠い状態で、ほぼ昏睡状態、いつ目覚めるのかもわからない状態でした。
かなりのケガをしており、医者からは数えきれないほどのケガの名前を言われました。
それから数ヶ月が経った時、父親が目覚めたとの連絡が。
慌てて病院に行ってみるとそこにいたのはいつもの父親ではありませんでした。
父はケガの後遺症で高次機能障害を患っており、
- 寝たきり状態
- 人口膀胱で一人でトイレにも行けない
- 10秒前の記憶が保てない
- ちゃんと考えることができない
- まともに喋ることもできない
こんな状態でした。
そこにはかつていた
- 色々なところに連れていってくれた父
- 悪いことをしたら叱ってくれた父
- キャッチボールをしてくれた父
そんな父はいませんでした。
そして大黒柱がいなくなったことで家族もどんどんおかしくとなっていき、実家にいるのに実家にいない感覚に陥っていきました。
「あの頃の幸せはもう二度と戻ることはないんだな」
そんな風に感じていました。
酒浸りの毎日を送る
そんな父親の状態、そして家族の状態を僕は受け入れることができませんでした。
- 俺の父親がなにかしたか?
- 汗水流して働いて、3人姉弟を大学に進学させ、俺が卒業すれば第二の人生が待っているはずだったんだぞ?
- 親父はなにか悪いことをしたのか?
- 親父の人生は一体何だったんだ?
こんなことを思いながら、ただひたすらに酒に逃げました。毎日、記憶をなくすまで飲んでは吐いて、飲んでは吐いて
そして二日酔いの中、この現実は夢ではないと打ちひしがれ、そして夜にその現実を忘れたくてまた酒を飲み始める。
その時の自分はもうすでにぶっ壊れていたと思います。薬も飲み始めましたが全く効く様子はありませんでした。
精神の安定を求め、さまざまなことに挑戦する
そんな毎日を送っていたころ、僕はBarに通い始めました。Barにはなにかワケありな人たちがいるという印象があったんですね笑
そんな人たちがたくさいんいるところなら、何かわかるんじゃないかと思って。
確かに色々な人たちがいたんですが、そこにいたバーのマスターさんが「世界一周経験者」でした。
その人に話を聞いているうちに自分もだんだんとバックパックをしてみたいと思うように。
しかし、海外旅行はおろか、一人旅すら1回もしたことのない自分にとっては遠い話の世界だと思ってました。
そんなうじうじしている自分を見かねたのか、ある時突然、マスターから「今からパスポートとクレジットカードとスマホもってこい」と言われました。
困惑しましたが、そのまま家に帰り指示されたもの(パスポートは以前旅行の計画を立てていたのでありました。結局、行かずじまいでしたが)を持ってくると、そのスマホでいろいろと何かを操作していました。
しばらくするとマスターが一言
「今タイ行きの片道チケット取ったから」
チケットの日付を見ると2週間後でした。ビックリしましたが、当時いろいろと思うことがあり、ちょうどいいかもしれないと意外とすんなりと受け入れることができました。
こうして、僕の初の一人旅、初の海外旅行は幕を開けました。
ただ、行ってみるとすごく充実して、本当に楽しかったです。目に見える、日々感じることすべてが新鮮で、月並みですが
「世界ってこんな広かったんだ」と感じることができました。気づいてみれば3ヶ月間、東南アジア7カ国を周遊していました。
そういったバックパックをしたことで多少、精神が安定してきた自分はなにか見つかるかもしれないと思い、さまざまなことに挑戦をしてみました。
山奥に2週間ほど籠ってヴィパッサナー瞑想という修行をしてみたり
シェアハウスに住んでみたり
ヒッチハイクをしてみたり
アフリカに行って大地の力を感じてみたり、
と色々なところに行ってみたり、やってみたりしました。
答えが見つからず、大学を中退
バックパックの一人旅は楽しかった。
全てを忘れられる気がして、何でもできる気がして解放された気分になりました。でも、その時だけなんですよね。
日本に帰れば、家に帰れば、辛い現実が待っているし、弱い自分のままなんです。
バックパックはそれ自体がやりたいからやっているのではなくて、辛い現実を逃れるための手段として使っていただけなんです。
自分には生きていく力がないから精神的に未熟なままでいつも感情が不安定になってしまう。
結局、休学や留年を繰り返しても、再度大学に行く気にはならず、そのまま中退することにしました。
ただ、辞めたとしてもやりたいことも進むべき道も見つかってはなかったので流されるように、何も答えが見つからないまま就職するという形を取りました。
ある本に出合い、人生の指標を見つける
就職してから、1年が過ぎたある日のころ。
僕は1冊の本に出合いました。
「どんなに弱くても人は自由に働ける」
これは阪口ユウキさんという一人の青年の物語です。
彼はうつ病を患い、自殺未遂をし、半年間寝たきりになり、自分の人生に絶望をしていました。
しかし、彼はかつて東南アジアで見た自由な空を再び見たいと願い、起業を決意し、一人でも生きていける力を身につけようと奮起しました。
今では組織や場所に囚われず、自由に世界を飛び回り、仕事をしています。
この本の中で彼が感じていた
- 悩みや葛藤
- 惨めさや悔しさ
- 願望
全てが僕の心の中に突き刺さったんです。
そして、彼は本の中でこう言っていました。
「人は、自立していない状態では、誰かと関係性を築くことはできないのだと思う。」
僕はこの言葉にハッとさせられました。
自分は今まで、酒に依存し、友人に依存し、当時の彼女に依存し、家族に依存し、そして過去に依存していた。
自分の精神性は自分の父親が事故に遭ったその日、19歳の当時から一切変わってなかった。
僕はこの本を読み終えたとき、起業を決意しました。
経済的にも自立し、そして精神的にも自律した自分になりたいと。
僕はそのまま会社を退社し、この人に仕事を教わることにしました。
そして、1年間、知人や友人、外部との関係を断ち切り、自分の全てをその仕事に注ぎ込み、一人で生計を立てられるくらいまでにはなることができました。
↓そのときの僕のメッセージはコチラ↓
https://powertraveler.jp/graduated_114/
(外部サイト:阪口さんが運営しているサイト「POWER TRAVELER」)
また、独り立ちできるようになるまでの記録を「起業日誌」として残しています。
その時の気持ちや悩みを赤裸々に語ってありますので、興味があればご覧ください。
これからについて
今はやっとスタート地点に立ったばかりだと思っています。これからどうなっていくのか、自分でも見当がつきません。
ただ、環境や場所に囚われない、経済的にも自立、そして精神的にも自律した
- 生き方
- 考え方
- 働き方
を模索し続けていきたいと思います。
また、今はWebメディア運営のみで生計を立てていますが、リスク分散や自分の勉強のためにも違うビジネスなどにも枠を広げていきたいと思っています。
そして、そこで得られた経験や知見をこのサイトで発信していきたいと思っています。
とある青年の物語が、言葉が、僕の心を動かしたように
いつか自分の言葉が誰かの心を動かすきっかけになればと願っています。
2021年6月21日